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「マニアの至福」第8回

73年9月、はっぴいえんど
「ラストタイムアラウンド」-4-

 開演の時間が迫ってきます。僕は待てど来ないS恵さんのことが心配でたまらない反面、だんだん腹ただしく思えてきました。指定席ではないので、遅く入場するほどに後ろの席になるのは目に見えています。
 5月のあの日キスをしたことが(あるいはキスされたことが)きっかけとなって、僕たちは恋人同士といった定義付けを同級生からされていました。キスは同級生数人によって目撃され当然クラスの話題となったのです。僕が東京で初めて出会えた友達といえるのがS恵さんで、しかもひょっとして恋人といえるのかも知れません。
 彼女は浅川マキのファンでした。6月に彼女に誘われ明大前からほど近い「キドアイラックホール」での浅川マキのコンサートに行きました。S恵さんは好んでジーパンに素足で赤い鼻緒の下駄を履いていました。この日もそうでした。
「まさと君さぁ、娼婦っていいよね。私が娼婦になったなら〜まさと君はど〜うしよう」とコンサートの帰りにS恵さんは漆黒に赤い鼻緒の下駄をちょんちょん鳴らしながら最後は浅川マキ風にいいました。
 続けて「私のアパートのそばには『ホテルカモメ』っていう連れ込みがあるんだぜ、真昼間っから満員だぜ、いいだろう」と、何がいいのかよくわからないことをいいました。僕が「じゃぁ、今から一緒に『カモメ』に行こうか」というと「あたった、あたった、国際、パチンコ、カモメ、カモメ」ともっとわけのわからないことをいいます。
 彼女は浅川マキは好きでもロックには興味はないようでした。はっぴいえんどのことは知りません。ただし、あがたさんの事は知っていました。
 僕はよせばいいのに「俺あがた森魚の友達だよ、一緒に酒飲んだこともあるんだ」というと「ふーん、まさと君は森魚ちゃんのお友達なの?今度、一緒に会いたいなぁ」といいながらフッと笑うのでした。
 僕にとってその笑みは不気味でした。
 彼女の笑みの奥には僕には計り知れない深淵な確信が存在しているように思えたのです。それは明治大学の一部には入学できそうもないので二部学生でもいいや、といった消極的な理由で二部を選んだ僕とは全く違った自信に満ちた人生を選択しているからこそ持ち得る確固たる自我が存在しているようでした。
 僕はあがたさんと友達だといってしまったことを後悔していました。
 ともかく、僕はこのコンサート「CITY-Last time around」の進行している間に彼女にふられるのです。(彼女は、彼女が僕から離れたと表現するのですが)

*  *   *   *  *   *   *   *

 そんなことは全くわからず、僕はS恵さんを待ちきれないまま一人で文京公会堂に入場しました。満員になりかけている会場のほとんど最後部の左手にどうにか空席を見つけることができました。僕はチケットを2枚購入し1枚はすでにS恵さんに手渡しています。この会場のどこかに彼女は、いるのでしょうか?
 開演を前に客席はざわついています。立ち上がって出入口の方に手をふる女の子。足速に通路を駆け降りる数人の女性達。しかしS恵さんは見あたりません。
僕は---始まってしまえば俺のもんだ---と思うように務めました。そうです。もともと「はっぴいえんど」を知らないロックに興味のないS恵さんをさそった僕がいけなかったのです。コンサートさえ始まってしまえばS恵さんのことなど忘れてステージに集中することができる、演奏に身を委ねられる、そう思い込む以外に術はないのです。
 開演のベルが鳴り会場が暗くなりました。緞帳は降りたままです。上手からスポットライトを浴びて男が一人ステージ中央に向かって歩んできます。誰なのでしょう?
 かまやつ×××でした。会場全体が一瞬ためらったようです。なんで××(2文字自粛)のかまやつ×××がここに現れなければいけないんだ?まさか司会でもやるつもりじゃないだろうな?
 そう思ったのは僕だけではなかったようです。というのも観客の一人が「かまたさーん」と、かまやつ×××に向かって声をかけ、かまやつ×××がそれに応えて「はーい」と右手を振ったのですが客席はそれに沈黙で応じました。
 僕はこのコンサートは素晴らしいものになるぞ、と確信しました。ここに集っている多くの人達にとってかまやつ×××の登場などどうでもよいのです。みんな「はっぴいえんど」や解散後の「はっぴいえんどのそれぞれ」が手がけ始めた音楽を聞くために、じかに体験するためにここに集っているのです。
 どうやら、かまやつ×××自身も自分が場違いな存在であることだけは察したのでしょう。
彼は「CITY-Last time around」の開催を宣言するや退場しました。
そして本当に「CITY-Last time around」は素晴らしいコンサートとなるのでした。

 かまやつ×××が去り、緞帳があがるとステージ中央にピアノが一台、そしてその鍵盤に手を差しのべ私の指からコンサートのすべてが始まるのだとこの日のためのリハーサルを重ねてきた吉田美奈子の姿がありました。

(97年4月12日記・以下次回)

-第8回 了-

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